これは、今年の夏のはじめに起こった、なんてことのない出来事である。
特になんてことのない出来事なので、数人に話してからはついぞ忘れてしまっていたのだったが、そういえばそのうちの一人に、この話はどんな形式でもいいから、何かの形で残しておいた方がいいと言われていた。そう言われていたのを今思い出したので、特になんの変哲もないといえばないような出来事なのであるが、ここに記してみることにする。
その日は本当にからっとよく晴れた、その時期にはめずらしく気持ちのいい日だった。
午前中はクリニックで仕事をしていた。午前最後の患者さんの診察が終わると、スタッフ何人かで昼食をとりに外へ出た。その日のランチはいつもの蕎麦屋の鴨南蛮だったか、奇をてらって横のカレー屋さんへ行ったかは、はっきりとは覚えていない。
ランチから帰ると、その日は午前中だけの勤務だったので、帰宅の用意をいそいそと始めた。用事が終わると、一目散にその場を後にするタイプのわたしである。その時、内輪では海好きで知られる上司がぼそっとこう言った、「こんな日は海に行くといいだろうな。」
海か。海か山かと問われれば、断然山派と答えるが、たまには海に行くのもいいかもしれない。海というのは、常に想っていなくても、たまに訪れない夏があっても、行くといつも穏やかにわたしを迎えてくれる。当たり前だが、全然来ないじゃないとふてくされることもない。海辺の潮風を感じ、なめらかな波音を聴いていると、ほんの少しの悩みなんてさっぱり洗い流されるような気がする。その時悩みたい悩みがあったわけでもないが、海に行きたい気分というのは不意に訪れるものだ。
わたしは都内から比較的行きやすい、茅ヶ崎の海へ行くことにした。
すぐタイムズカーのアプリを開き、自宅から一番近いポートの車を借りようとした。あいにく近所の人気のポートの車は先約があったので、自宅から徒歩5分ほどの大きめのポートから、とある車を予約した。
急いで自宅に帰り、荷物を軽めのバッグに持ちかえ、車のポートに向かった。予約した車は、思っていたより少し小さく、そして思っていたよりかなり四角い厚揚げのような形状であった。乗車すると、茅ヶ崎の海といえばの、BGMをサザンオールスターズのメドレーに設定し、準備は万端である。
高速に乗ってほどなくして、異変に気付いた。車が、異常に揺れるのである。いわゆる橋の上で、他の車のスピードに影響されてほんのり揺れるのではなく、故意的に揺らされているかのごとくそれはまあ結構な揺れようなのだ。車のことを悪く言いたくはないが、厚揚げのような形をして、実際の作りも豆腐のパックのようにぺコンペコンなのかもしれない。わたしはこの車を借りたことを、少し後悔し始めていた。あと2000円ほど出して、もう少しいい車を借りればよかった。こんなところでケチるから、こんなベコベコな車に乗る羽目になってしまうんだ。
ふと、この日の数日前、わたしに起こったある不思議なエピソードを思い出していた。初対面のあるかなり歳上の女性を紹介された日のこと。楽しいトークの後、去り際にさらっと、なんの脈絡もなく「あなたは運転に気をつけたほうがいいよ」と言われたのだ。
なんだかゾクっとするし、気をつけろと言われても、どう気をつけていいのかがまずわからない。当たり前のように気をつけるべきことは、すでに気をつけている。この先全く運転をしないなんて現実的ではないし。気をつけろ、と言う方はずいぶんお気楽なものだが、実際気をつけろと言われた方はどうしていいのかわからず困ったもんである。
このぺコンペコンの車に地震かのごとくガサガサと揺らされながら、わたしはこの「運転に気をつける」ことについて考えていた。なんだか揺れすぎて危ないから、ここで高速を降りてしまおうか、とふと思った。茅ヶ崎まではもちろん高速道路を使ったほうが断然早いのだが、別段下道を行ったとて、途方も無いほど時間がかかるわけでもない。なにせ今は昼の14時、深夜までに車は返せばいい。時間だけはたっぷりとあるのだ。高速に乗って、途中で怖いから降りる、なんていまだかつて行ったことはない。すでにお金も払ってしまっているし、もったいない。しかしこのイレギュラーこそ、「運転に気をつける」ことのひとつなのかもしれないとその時ふと思ったのだ。
三軒茶屋のインターチェンジでわたしはいそいそと高速道路を降り、下道でゆっくりと茅ヶ崎へ向かった。
6月の茅ヶ崎の海は、人もまばらだったが、澄んだ空気と、太陽に照らされてキラキラと光る水面がなんとも美しかった。久々に海を見た。時間も忘れ、木陰に座ってわたしはただただ、目の前の水平線をぼーっと見つめていた。
結局夕日が沈むまで、わたしはその海辺で時間を過ごした。
この日に撮影した海。よく晴れた空と、キラキラと光る水面が美しい。
日も暮れてきたので、車に引き返し、茅ヶ崎の海を後にした。小腹が空いていたが、お目当ての海辺のカフェは閉店時間を過ぎてしまっていたので、道中の適当なファミリーレストランで腹を満たした。何を食べたかは、なぜだか全く思い出せない。
それは帰路の道中、神奈川県は金沢八景駅を過ぎたあたりだった。帰りも色々考えた末、「運転に気をつけて」下道で帰ることにした。BGMはサザンオールスターズのメドレーを流し終えて、そのまま昭和歌謡シリーズに移行していた。
ちょうど、稲垣潤一の「ドラマティックレイン」が流れ出した時、急に車が小刻みに震え始めた。本当に急に、車がまるで身震いするように小刻みに震え出したのだ。とたんの出来事に相当に焦ったわたしは、BGMをサビの途中で止め、ブレーキをぐっと踏んだ。車はみるみる減速してやがて止まったが、震えは止まらない。ちょうど駅に近い、舗装された綺麗な2車線の道で、右折のレーンに入ろうとしたところだった。ヒンシュクなのはわかっていたが、どうしようもなくわたしはその道の真ん中でエンジンを切った。やっと震えがぴたりととまった。
さて、どうしよう。車のダッシュボードに貼ってある、タイムズカーの「緊急連絡先」までとりあえず電話した。程なくコールセンターから応答があり、今の技術とはここまですごいのか、わたしの名前を言っただけで、今その車がどこにいて、どんな状態なのか、全て遠隔でわかるようだった。わたしの車の状態があっけなく判明した。車は、ただのガス欠だった。
ガス欠なんていまだかつてなったことなんてない。もちろん発車時にガソリンの残量くらいは確認する。苦しくも今回、初めて乗った車種だったため、ガソリンメーターの読み方を完全に間違えていたのだった。
コールセンターの男性に言われるがままに、停車時の三角表示板などを一通り設置し、ガソリンを車で持ってきてくれる、カーシェアおすすめのロードサービスを注文した。少々割高なのだが、その時はすがるような気持ちだった。ちなみにこの時わたしは、500円の保険代をケチっていたばかりに、ロードサービス代に15000円も支払うことになってしまった。なんてついてないんだ。
ロードサービスが来るまで約1時間とのこと。車内で待とうかと思ったが、やることもなかったので、とりあえず近くの歩道で待機することにした。夜は20時を過ぎた頃、人通りもまばらで、駅前なのになんだか寂しい。ふと寒気がして目を凝らすと、ちょうど車が停まった傍には大きな神社があった。やめてくれ。夜の神社ほど、なんだか物騒なものはない。しばらく歩道になんとはなしにぼーっと立っていたのだが、すると今度は遠くから、初老の男性の声と思われる、「あー!あー!」という奇声が聞こえてきた。
いよいよ怖くなってきたので、駅前の光のあるところへ小走りに逃げた。カフェに入ろうかと思ったが、夜の20時過ぎに金沢八景の駅前で空いているカフェはないようだった。30分ほど光の中で徘徊していると、ふと車のことが気になって、また暗い神社の前の道を歩いて戻っていった。
わたしが停めてしまっている車の後ろに、一台のバイクが止まっていた。ヒンシュクな場所にわたしが車を停めているから、衝突してしまったのだろうかと一瞬ヒヤッとするが、そうではないようだ。バイクには誰も乗っていない。後部座席に、ウーバーイーツを運ぶバイクにあるような、四角い艶々とした白い箱が乗っていた。何かの配達員だろうか。近くまで行ってよく見てみると、その箱に大きく黒い文字で「POLICE」と書いてあった。
面倒なことになった。警察まできてしまった。視線を歩道に戻すと、しっかりと制服を着た警察官と、少し小さめのおじさんが何やら話し込んでいた。近づいていくと、その小さめのおじさんがわたしの方を見て目をカッと見開き、わたしを強く指差してこう叫んだ「ああ!この人です!」
警察官に一通り事情を説明した。警察官は、わたしの名前、住所、電話番号などを強い筆圧でしっかりとメモに書き込んでいた。ここ1時間ほど、ロードサービスを待っている旨を説明すると、警察官は顔をしかめる。「ここは意外と交通量も多い通りですし、何より停まっている場所が場所なので、、、うちがよく使ってるロードサービスなら、多分すぐきますよ。正直カーシェアで頼むより安いと思いますし。ただもう予約しちゃってるのかあ、、キャンセル料次第ですよねえ」
その時のわたしにとって、一番大事なのは時間であった。あたりは暗いし、心細いし、とりあえず早く帰りたい。一か八か、わたしはカーシェアのロードサービスをキャンセルし、警察御用達のロードサービスを呼んでもらった。
待っている間、応援だろうか、パトカーに乗って警察官が三人ほど追加で現場に来た。総勢四人でご対応いただき、とてもありがたいのではあるが、なんだかこそばゆい気もしなくもない。ガス欠で路上停車した車に、流石に警察官四人は必要ないのではないか。今日も日本は平和ということか。後から駆けつけた警察官三人は、皆それぞれの立ち位置で交通整理をし始めた。交通量の多い通りとはいうが、とてもそうとは思えない。わたしは近所の、数席しかない店内ながら、キッチンにやたら店員が多いあるコーヒー屋さんを思い出していた。
程なくして、レッカー車が到着した。運転手のお兄さんは窓を開けて、警察官と親しそうに話し始める。急にごめんねー、全然よー、ハイタッチ、というような内容だっただろうか。そこだけ一瞬南国のような空気が流れるが、すぐ現実に引き戻される。
そこからは早かった。今となっては灰のように成り果てた厚揚げ車をレッカーに乗せ、わたしは助手席に乗ってガソリンスタンドまで同行する(レッカー車の助手席に乗るのも、もちろん初めてである)。レッカー車のお兄さんはとても手際よく対応してくれ、わたしの縮こまった気持ちも少しずつほぐれていく。ガソリンも無事満タンになり、全てが終了した。「お疲れ様でした!いやー大変でしたね。お会計しちゃいますね。」
「お会計15000円になります!」あれ、結局カーシェアと同じじゃないか。どこがカーシェアより安いんだ。これじゃ本末転倒だ。路上でのお金の受け渡しのため、現金しか対応してないという。その時財布の中には1万円しかなかった。
「いいですよ、1万で!」わあ、こういうのは言い値なのか。気の利くお兄さんだ。かたじけない。てことはもう少し値切れるか?いやだめだ。財布にしっかりと1万円札が入っていることは、すでに見られてしまっている。ちゃんと払おう。夜分にご対応いただいて、少し申し訳ない気持ちもある。
しっかり1万円をお支払いしてわたしはその場を去った。
後日、カーシェアからキャンセル料の連絡が来た。なんと、5000円だという。待ってくれ。結局合算したらトータル15000円じゃないか。どっちにしても結局15000円だったのだ。なんというマヌケな話。もういい、これも経験代だ。経験代、といって今までにいくら経験代に費やしてきただろう。そんなことはいい。無事に帰って来れただけで十分だ。
以上が、今年の夏の、なんてことのないちょっとした出来事である。
この一連の、本当にただのなんてことのない話を振り返って、思うことがある。
もし、わたしが今回の旅路で、序盤、高速から降りていなかったら?
揺れる車に少々怯えながらも、ずっと目的地まで高速道路を運転していたと思う。
行きの車で問題なければ、帰りも特に考えず高速道路に乗っていただろう。
もし、帰りの高速道路でガス欠になっていたとしたら。あんなところでいきなり急停車したら、まあ無事であるとはそうそう言い切れない。わたしは最悪、命を落としていたかもしれない。
今回の往路で、高速道路を降りておこうか、というわたしの決断は、言うなれば本当に些細なものだった。あのなんだかよくわからない、「運転に気をつけなさい」の件がなかったら、わたしは明らかに高速道路を降りるという決断はまずしていなかったと断言できる。だって、そんなことしたことがないのだから。
人生とは、本当にこんな些細な一つの出来事で、明とも暗とも、生とも死とも分かれるのだというなんともあっけないひとつの事実を今回わたしなりに思い知った。
そして、本当にボタンを一つかけ違えていたら、わたしは死んでいたかもしれない。
それでも、今回わたしは死ぬことなく、なんともマヌケなエピソードだけ引っ下げてあっけなく生き残った。確率50:50で、生きる方が選ばれた。
ここにわたしは、ただの確率論ではない、なんだか意味を持って生かされているような気持ちになったのである。
今回の生で、わたしにはまだまだやるべきことがあるのだと、どこかから言われているような、そんな気がしたエピソードなのであった。