ひょんなきっかけで、という言い回しがある。
別に前々から計画していたわけではない。そのきっかけを強く強く望んでいた結果ついに成就したという感動的なニュアンスではない。本当にたまたま、なんとなく、偶然といえば偶然、なんか知らないけれどそういうことになっちゃったんだよね、いやーほんとに思ってもなかったんだけどさー、というようなひょっこりとしたニュアンスである。辞書を引くと、「ひょんな」とは「思いがけぬ、予期せぬ、意外な」と書いてある。もっとも認識の通りである。気になって調べていくと、「ひょんな」の由来とは、通称ヒョンノキと呼ばれる常緑樹からきているとされ、この木は柱や机によく使われているという。ヒョンノキがなぜ「ひょんな」の語源になったかというと、よくわからないそうである。ひょんなことに一瞬で行き詰まってしまった。世の中には本当にわからないことだらけだ。日本語とはなんともふわふわしていて、掴みどころがなくて、それでいて魅力的な言語なのか。
そんなわけで今回私は本当にひょんなきっかけで、カウアイ島に行くことになった。
カウアイ島はアメリカはハワイ州の島々の中でも、最も古い島と言われている。地図でいうと日本人に最も馴染みのあるオアフ島より西方に位置している。地形学的にいえば、今なお現役の活火山のあるハワイ島が最も東にあり、その噴出した溶岩が流れ出てきて作られた島がどんどん西へ流れていくそうで、ハワイ島から最も距離の離れているカウアイ島はかなりのおじいちゃん島と言えるかもしれない。
右から順に、ハワイ島、ラナイ島、マラカイ島、マウイ島、オアフ島ときて、今回の舞台カウアイ島。他にも小さい島々が間に複数存在している。出典:ハワイ州観光局公式ラーニングサイトhttps://www.aloha-program.com/curriculum/lecture/detail/35
日本では、ハワイ州の中で最もその名前を聞かない島かもしれない。一部の文学ファンの中では、カウアイ島の北に位置する綺麗なU時型をした「ハナレイ湾(ハナレイ・ベイ)」で、あの村上春樹大先生が名作「海辺のカフカ」を書いたというエピソードで少し知られている。一般的には、カウアイ島は別名「ガーデンアイランド」と呼ばれるほど、島のほとんどが美しい山々に囲まれており、山と海と空と風と、そして時々人間、そして人間の作ったもの少し、というなんとも資本主義社会から取り残されたようなとてもスローな島である。というのも、これまで何度かのハリケーンの度に、高級ホテルやゴルフ場などが見事に流され、資本主義的発展を見事に阻まれているようである。
とまあ事前情報はそのくらいで、宿もフライトの当日にあわてて予約したほど無計画な訪問だったのだが、今回の旅で何より一番個人的に驚いてしまったのは、カウアイ島の「鳥の多さ」である。
日本でも生活していると、鳩やら燕やらカラスやら、いろんな鳥と日常的に遭遇するが、カウアイ島はその比ではない。とにかく、鳥が多すぎるのだ。
車を運転していて驚くのが、結構な頻度で鳥たちが視界前方を横切っていく。車が近づいていくと、鳥たちはあわてて早歩きしてなんとか逃れようとする。といっても鳥たちのよちよち歩きなので、こちらはかなりスピードダウンしてその横切りを待たなければならない。鳥は翼を持つところがいいところなのに、こういう窮地の時には飛ばないのだと思いながらただひたすら待つ。必死で横切っていく鳥は、一羽だけのこともあれば、大きい鳥一羽に小さい鳥二羽ほどが後からついて必死の行進をすることもある。さながら絵本の一ページのようで、一人なんだかおとぎ話の世界に迷い込んだかのような錯覚を覚える。島の主要道路をドライブしていると、苦しくも窮地を逃れられなかった鳥たちの死骸が、道端にそっと横たわっている光景もよく見かける。心の中で合掌をしつつ、こういう田舎というのは私たちが暮らす都会よりも、うんと死というものが当たり前に日常に溶け込んでいるよな、とふと思ったりする。
ある日、日の出とともに我ながらめずらしく早起きした日があった。この島にいると、自然と太陽のリズムに体が同調していくような気がする。穏やかなハナレイ湾の水面に朝日が差し込む様は、なんと美しい光景なのだろう。
島の中央を優雅に流れるワイルア川のほとりには、「ヘイアウ」と呼ばれ、古代ハワイで神聖な儀式が行われていた跡地のようなスポットが点在する。景色もいいとのことで、この日は早朝からヘイアウ巡りをしていた。中でもカウアイ島の美しい緑と、その中央を流れるワイルア川が綺麗に見える「ポリアフ・ヘイアウ」に寄った時のこと。
そこのヘイアウは短く刈られた芝生が広がっており、ヤシの木も生えて小さな公園のようになっている。早朝だったので人一人おらず、いい時間に来たようだ。車で近づいていくと、何やら芝生の上を覆い隠すがのごとく大量の黒い塊が見える。ここはおじいちゃん島、溶岩でもなかろうに、と思いもっと近づいてみると、それは大量の鳥の集団であった。その公園は車でそのまま中まで入れるようになっており、静かに車を進めていくと、なんとその大量の鳥の集団が、一斉に私の車めがけて走り出したのだ!その芝生を覆い隠さんとするばかりの大量の鳥たちが、一羽残らずみな一斉に、一方向(私の車)めがけて走り出す様は、正直少しおぞましい光景であった。私は鳥肌をたてながら(鳥だけに)ほぼ硬直しかけていたが、なんとか車を停めた。車から降りると、どうやら鳥たちは私を攻撃してくるつもりはなかったようだが、みな一斉にずっとこちらを伺っていた。私は震える手でなんとかその場所から見える緑の絶景をカメラにおさめ、鳥たちにじっと見守られながらいそいそとその場を後にした。
問題の、ポリアフ・ヘイアウにいた大量の鳥たち。おびえながらなんとか撮った1枚であるが、実際はこの写真に収まりきれていないほど、もっともっと大量の鳥がいた。奇跡の瞬間を捉えられず、悔しさが残る。鳥たちの躍動感が少しでも伝わると嬉しい。
震える手で撮ったポリアフ・ヘイアウから見える絶景。よく晴れた気持ちのいい朝で、手前には美しいグリーンとワイルア川、奥には綺麗な海も見える。
翌日は、ハナレイ湾の中でも比較的名の知られているブラックポット・ビーチへ出かけた。あまのじゃくな私は、普段いわゆる観光地や人気スポットには近寄りたくない性格なのだが、この日はなんだかハナレイ・ベイで一番人の集まるビーチに行きたい気分になった。
混み合った駐車場の中をゆっくり進んでいくと、そこに大きなグァバの木があった。この島ではいたるところにグァバの木を見かける。ふと目線を下に落とすと、地面に落ちたグァバの実を必死でつついている5、6羽の鳥たちの姿があった。大きなニワトリ2羽と、あとはその子どもたちなのだろうか、グァバの実と同じくらいの大きさをした小鳥であった。ちょうど彼らは私の進行方向におり、どうにも進めないので何度かクラクションを鳴らした。しかし彼らは完全にグァバの実を食べることに集中しており、私の車が近づいてきて轢かれそうなことや、クラクションのうっとおしい音なんてまるで気にもとめていない様子であった。
どうしたもんかと、鳥にいかんせん慣れない私が地団駄を踏んでいると、傍からサーフボードを抱えたガタイの良い白人の中年の男性と、その後ろに小学生くらいの男の子二人が歩いてきた。バカンス中の父と息子だろうか。父親が私に、”Go,go,go!”(進みなよ!)と言ってきた。といわれても、このまま進んでも鳥たちが逃げる気配がない。普段から鶏肉を食べておいて卑怯だが、不必要な殺生はもちろんしたくない。一向に進む気配のない私を見て、今度は小さな息子のうちの一人が、私にこう言ってきた。”Go! Chickens don’t care!”(進みなよ!鳥はそんなの気にはしないさ!)
この”Chickens don’t care!”が、いつまでも喉にひっかかった魚の骨のように、私の中にしばらく残ることになってしまった。一寸先は死が待っているかもしれないのに、目の前の食で腹を満たすことにまるで頭がいっぱいな鳥たち。これが動物なのだ。生きたい!だってまだ人生でやり残したことがあるから。私が死んだらあの人が悲しむ、この人が落ち込んで立ち直れないだろう。何より私の人生の目的をまだ達成できていない!私の宿命が!なんて。THEY DON’T CARE. 彼らはただ、目の前の熟れたグァバが美味しくて仕方ないのだ。
今から思えば、すぐに車から降りて、鳥たちに向かって「シッシッ!」のようなことをすれば良かったのだろうが、その時の私はなんだか、鳥たちが目の前のごちそうを腹一杯食べ終わって、のそのそと動き出すまでじっと待っていたいような、そんな心持ちになっていたのだった。
後日、家に帰宅してから色々と調べていると、カウアイ島はどうやら「ガーデンアイランド」だけではなく、「チキンアイランド」と呼ばれることもあるらしい。というのもやはり、カウアイ島では人口の数より鳥の数の方が圧倒的に多いらしいのだ。
私はふと、昔一人で妄想していたあることを思い出した。気候変動がどんどんと進み、地球は悲鳴をあげているのにも関わらず、我々愚かな人間はそのメッセージを知ってか知らずか、いまだ様々な開発を進めようとしている。このままでは、地球は持たないだろう。その前に、しっぺ返しをくらった人間たちは、この地球でいずれ暮らせなくなり、いずれは絶滅するに違いない。人間が絶滅する最後の日にも、太陽はのぼり、風は吹き、海はたゆたう。その光景はきっと想像を絶するほど、わびしくて、美しいのだろう。そしてしばらくして、今度は鳥たちが、人間のように地球上で進化した動物になるのではないか。そしてそしてもしかしたら、鳥は人間よりももっと、高次に進化した動物になるかもしれない。なんといったって、彼らは空を飛べるのだ。
私が体験したあのカウアイ島は、おじいちゃん島であり、地球上の産業革命からポツンと取り残された、美しい過去を回帰させるような島であると同時に、もしかしたらこの地球の未来の姿も見ているのかもしれない。そんな妄想に浸りながら、私はいつかまた、あの不思議な島への再訪を誓うのであった。