朝、コーヒーを飲まなくなって2ヶ月ほど経ちました。
元々大のコーヒー好き。朝起きて、コーヒーを飲まないと1日が始まらない。
豆は断然、深煎り派。エチオピア産の豆の深い闇のようなダークな色と、その表面に滲み出た艶やかなオイル。
基本的にめんどくさがりな私ですが、朝のコーヒー豆をミルで挽く、その一手間だけは、どんなに朝寝坊しても欠かしません。ゆーっくり取っ手を回して、豆の挽けるゴリゴリという音を聴きながら、瞑想の時間。出来上がったパウダーをそっと香れば、そのなんとも言えない深くて芳醇な香りがズシンと私の嗅神経を刺激する。
滅多にないけれど、コーヒーを朝飲み忘れたなんて日は、一日中なんだかぼーっとしていて、夢の中にいるみたい。
そんな私ですが、今年に入って、「副腎疲労」という言葉を知りました。
副腎疲労は、いわゆる現代病。私たちの体内には、副腎と呼ばれる、腎臓の上にちょこんと乗っている小さな臓器がありますが、これは別名ホルモン産生臓器と呼ばれており、私たちの体を維持するのに必要な複数のホルモンを分泌しています。そのうち、ストレスにさらされると副腎より放出されるホルモン、「コルチゾール」が今回の主役です。
コルチゾールは主に、ストレス状態にさらされた時にストレスに対抗したり、元気を出させるホルモンです。基本的には朝に一番多く放出され、昼、夕方にかけて段々減っていき、夜にはほとんど出なくなります。この日内変動はほぼバイオリズムに相関しているため、人間のからだは日が登ると起きて活動を始め、日の入りとともに就寝の準備に入るように設計されています。
ところが現代社会では、夜でも煌々と明かりがつき、夜間も眠い目を擦りながら、もしくはカフェイン投入して覚醒しながら?働いている人がたくさんいます。ハードワークな会社員をはじめ、オンオフの境目がはっきりしないリモートワークや、医療職の夜勤などもバイオリズムと逆行しています。これによって、常にストレスにさらされていることから、副腎からコルチゾールが出っ放しになってしまっているのです。
さらに。コルチゾールは体内の炎症が起きていても、火消しのために放出されます。現代では加工食品や糖質過多の食事など、腸内環境が乱れ、腸内の炎症や口腔内の炎症など、体のあちこちに慢性炎症を抱えている人がとても多い。なおさら、コルチゾールが出っ放しになる訳です。
コルチゾールが規定以上にあまりに出っ放しになると、やがて、コルチゾールを放出する副腎や、その副腎にホルモンを出すよう指令を出す脳が疲れてきます。疲れ切ってしまうと、コルチゾールを出せなくなり、ストレスに対抗できなくなってダウンしてしまうのです。
現代、副腎疲労を抱える人は驚くほど多いです。副腎疲労はStage1からStage3までステージングがありますが、最も軽症なStage1(ほぼ自覚症状なし)を含めると、現代人の8割ほどが副腎疲労なのではないかと思っています。
具体的に副腎疲労になるとどうなるのかといえば、わかりやすくいうと、我々が認識する「うつ病」の症状に近い症状が出現します。朝起きられない、寝ても寝ても疲れている、何をするにも億劫、やる気が出ない、頭が回らない、などなど。
現に私も今年に入って、副腎疲労かも!と思って調べたところ(唾液中のコルチゾール値をはかる副腎疲労の検査があります)、Stage1でした。Stage1はほぼ自覚症状がないので見過ごされがちですが、副腎疲労に片足は突っ込んでしまっているため、ふとしたことがあるとすぐStage2、そして3に移行してしまう可能性を秘めています。
さて、私がコーヒーをやめた訳ですが。
コーヒーに多量に含まれるカフェインは、元気の前借り、と言われるほど、本来、カフェインを摂取すると「背中を蹴飛ばされたような」元気が出ると言われています。このカフェインは、ミトコンドリアのエネルギー工場のターボもガンガン回しますが、同時に副腎に鞭を打って、コルチゾールもガンガン出させてしまうのです。完全に健康な方なら、いざという時、カフェインの力をいい形で借りられそうですが、副腎を痛めつけている方なら、副腎が疲れ切って出せないコルチゾールをさらに無理やり出させようとするので、悪循環。副腎を痛めつけている自覚のある方は、朝コーヒーはやめて、カフェイン断ちをするのが良策です。
ただし、いきなり完全にカフェインをストップすると、離脱症状として頭痛や動悸に苦しめられるかもしれません。カフェインが大量に含まれているコーヒーの代わりに、緑茶や紅茶などに置き換えるところから、スタートするといいかもしれません。緑茶に含まれるカテキンは、抗酸化物質として優れているので、朝飲むにはバッチリです。抹茶もいいですね。
ほぼ20年ほど、なんの疑いもなく毎日朝飲み続けたコーヒーですが、理屈を勉強して、いざ辞める!となると、自分でも驚くほどすんなりやめられました。あんなにないと無理!と思っていたコーヒーですが、単純に癖になっていただけかもしれません。とはいえ、コーヒーの美しい香りに間違いはないと思いますので、私の副腎が完全体になったら、たまーにコーヒーをあくまで「嗜好品」として楽しみたいと思います。