2021年に公開された、濱口竜介監督の短編映画。
公開当時、映画館で観てかなり衝撃を受けた作品ですが、最近人と話していて、濱口監督の作品なら私的に「ドライブマイカー」より「偶然と想像」が好き!という話になったものの、「偶然と想像」がどう素晴らしかったかをうまく説明できない自分がいました。
たった3年前に観た映画なのに。こぼれ落ちてゆく記憶と、右肩下がりに衰退してゆくわたしの言語化能力。
悔しい思いで、もう一度この映画観直したいなあと思っていたところ、下北沢の新しめのミニシアター(シモキタエキマエシネマ)でちょうどリバイバル上映とのこと。思い立ったら何とやら、早速行ってきました。
結論。やはり、この映画、素晴らしかった。
どこか懐かしくもありながら、同時に生々しいほど今っぽく、そして全体的にほんのりエッジが効いている。新しいタイプの人生讃歌だと、改めて思いました。
私が思う、素晴らしいアートの定義って、①そのジャンルのアートの歴史を踏襲している、②その時代らしさを反映している、③その上でその時代を生きる人々に新しいと思わせる、新しい視点を与える、④本能的に美しいと感じる、この4つなのですね。この定義から言って、この映画は完璧。ぱっと見なんだかゆるくて、そしてちょっと変なのに、ちゃんとベースは基礎がしっかりしていて真面目に作られているというか。見てくれだけをどうにかこじつけてキャッチーなだけの動画がSNSにはびこる昨今、人々や社会全体の文化度の低下をかなり危惧している私ですが、こういう真面目な作品が評価されると、ちゃんと文化は伝承されている、その安心感を感じる次第です。
ネタバレしない程度に続けます。この映画の素晴らしさって、やっぱり脚本にあると思っています。濱口監督、監督なんですが、脚本家でもあるんです。この脚本のレベルがなんとも高い!と個人的には思っています。いろんなタイプの映画がありますが、濱口監督の脚本は、小説を読んでいるよう。かなり文学的な要素を感じます。映画をはじめ、映像作品って基本的には役者さんがその役を演じて作られるものなので、役者さんの演技による表現が主になってくるのかなと思っています。役者さんの台詞だけではなく、表情とか、身振りとか、間とか。対して濱口作品は、台詞の言葉の威力が抜群に強いんですね。役者さんのセリフの一つ一つが、小説の文章を読んでいるかのよう。おそらく脚本に、台詞の文章が一言一句しっかり書かれているのではないかな、と推察します。この濱口監督の「言葉への執拗なこだわり」がまたひとつ、この映画を稀有にしているところでもあります。どちらかというと、映画というより朗読劇のような感じでしょうか。
久々に観て、やはりこの作品は特別だ、と再認識した訳でありますが、今回下北沢のミニシアターに行って驚いたのは、観客の若者率。そこまで広くないシアターではありますが、普通の平日の夜に最前列以外ほぼ満席で、しかもほとんど私より歳下(多分)の若者たち。もちろん下北沢という土地柄もありますし、濱口監督のご高名かもしれませんが、昨今若者の映画離れが進んでいる、今の人はtiktokとかの短い動画しか見ない、などさんざん耳にして、なんだか心を痛めていた映画好きの私としては、とても希望に溢れた光景でした。もちろん、時代は移り変わるものだし、常に同じ形でずっと残るものなんて何もない、とは思います。しかし、美しい文化、本物の文化とは、移り変わる時代の中でも必ず伝承されなければならないと思います。なぜなら、アートを含めた文化というものは、人間というなんだか進化しすぎたわりに結構愚かな動物が築き上げた、ほぼ唯一の、素晴らしいものだからです。美しいアート、心を動かされるアート、そして、私たちは日本人ですから、日本特有の文化(日本語も含めて)は、絶対に守らなければなりません。
先述したように、昨今SNSの台頭で、人々がフラットに繋がれて世界が身近になった一方で、質の悪い制作物が溢れ、本物が少なくなりました。物事には必ず相反した二面性があるので、このSNS社会が良い悪いとはもちろん言えませんが、私自身は警鐘を鳴らしています。本物が少なくなれば、人々の文化度は低下し、それは一人一人の人間力の低下につながります。社会的な生き物である私たち人間の人間力が低下すれば、それは、もう見るに耐えない結果になるでしょう。
もっともっと、本物が評価される社会になるべきです。では本物とは何か?歴史をはじめとするその分野のしっかりした知識を持ち、そしてそれを類まれなセンスでもって形にし、そしてその作品の根底に人間や世の中への深い愛と思いやりが感じられる作品です。そしてそういう「人」です。本物は、この危うい方向に向かっている社会に幻滅せず、声をあげ、発信して欲しいですし、そしてそれをしっかり評価する社会にもっとなるべきだと、強く思います。
そんなことを考えている中で、ミニシアターを満席にする若者達の姿は、希望の光となってとても眩しく、私はひとり、心をじんわりあたたかくしたのでした。